HOME|旅の記録|入湯一覧|B級グルメスポット|格安宿検索(比較で最安値) (2011/9/19) 走行260キロ (ページ4/7) 1 2 3 4 5 6 7 千葉旅行10 東国三社参り パワースポット鹿島神宮
鹿島神宮は常陸国一宮で日本全国に約600社ある鹿島神宮の総本社。創建は紀元前660年と伝えられいていて、主祭神は武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)。大和朝廷ノ時代に香取神宮とともに蝦夷に対する前線基地だった。平安時代に「神宮」と呼ばれていたのは鹿島神宮・香取神宮・伊勢神宮の日本三大神宮のみ。 東国三社の一つであり東国三社参りは、昔から「お伊勢参りのみそぎの三社参り」と呼ばれ、お伊勢参りした後に参拝するほど篤く信仰されていた。東国三社とは鹿島神宮・香取神宮・息栖神社の総称で、それぞれの神社に祀られている三柱の神が地上を譲ようにせまった神話「出雲の国譲り」に由来する。
12:54あらいやオートコーナーから20分程走り鹿島神宮第二駐車場に車を止める。第二駐車場は土日祝日は無料だそうだ。鳥居前の駐車場は有料で一回300円なので鹿島神宮から少ししか離れていなのでこっちに止めた方が良さそうだ。参道を進むと鹿の親子の像があった。台風16号が近くに来ている為か雨が降りそうで風が結構強くなってきた。
12:59第二駐車場から5分程歩き、二の鳥居跡に到着。残念な事に今年の3月11日に起きた東日本大震災により100tもあった大鳥居が倒壊してしまった。鳥居跡には榊が植えられていて、平成26年9月の「御船祭」までに大鳥居の復旧を目指しているそうだ。御船祭とは12年に1度行われ、鹿島神宮の御祭神である武甕槌大神と香取神宮の御祭神である経津主大神(フツヌシノオオカミ)が水上で出会う鹿島神宮の祭典で、水上の御船祭としては日本最大の規模を誇る。一の鳥居は、北浦湖畔の大船津に立っている。 鳥居は無くなってしまったが、鳥居から先は神域なので人の家にお邪魔する時と同じように、身だしなみを整え「お邪魔します」という様な気持ちを込めて鳥居の前で一度止まり一礼してから入る。参道中央は「正中」と言って神様が通る道と言われているので、中央を避けて端を進む。
香取神宮みたいに石灯篭が並ぶ参道が続いている。右には食物の神様の保食神(ウケモチノカミ)をお祀りしている末社稲荷社がある。
立派な造りの手水舎(写真左上)があり身を清める。まずは右手で柄杓を持ち、水を汲んで左手にかけ左手を清め、次に柄杓を左手に持ち替えて、同じように右手を清める。再び柄杓を右手に持ち、左の手のひらに水を受けて口をすすぐ。口をすすぎ終えたら、もう一度水を左手に流し(少し残す)、最後に残った水で柄杓を立て、柄に水を流してから伏せて置く。 手水舎奥には摂社・末社があり行ってみる。摂社(せっしゃ)とは神社の祭神と縁故の深い神社をお祀りした小規模の神社の事で摂社以外は末社(まっしゃ)と呼称する。
写真左上の左から、結婚、生命力、悪縁消除の神様の伊弉冉尊(イザナミノミコト)、事解之男尊(コトサカノオノミコト)、速玉之男尊(ハヤタマノオノミコト)の熊野三神をお祀りする末社熊野社。占いの神・神事の神様の太玉命(フトダマノミコト)をお祀りする末社祝詞社。タカオカミノカミ・クラオカミノカミをお祀りする末社津東西社。中央には奈良の春日大社の御祭神で祝詞、出世の神の天児屋命(アメノコヤネノミコト)をお祀りする摂社坂戸社と、香取神宮御祭神の経津主大神(フツヌシイノオオカミ)をお祀りする摂社沼尾社の遥拝所。遥拝所(ようはい)とは遠く離れた所から神仏を拝む場所で坂戸神社と沼尾神社は鹿島神宮から少し離れた場所にある。東国三社参りと合せていくと良いらしいが、パワーが強い場所なので軽い気持ちでは行かないほうが良いそうだ。写真右上は縁結びの神社で有名な氷川神社の主祭神でもある須佐之男命(スサノオノミコト)をお祀りする末社須賀社。
1634年に水戸藩主の徳川頼房公(水戸光圀の父)が奉納した、日本三大楼門の一つの楼門。(他は 阿蘇神社(熊本)、 筥崎八幡宮(福岡) 。)国の重要文化財。
楼門の左右には弓をもった随身像が安置されていた。近くの石灯篭は香取神宮みたいに神の使いの鹿が彫ってあった。鳥居や門は神域への入口なので一礼し進む。鳥居がたくさん続いている場合は最初の鳥居だけ一礼で良いそうだ。
楼門の先には左に社務所と宝物館(入館料300円)があり国宝の直刀が拝観でき、右には樹齢700年の二郎杉(写真右上)と拝殿がある。
拝殿は1619年に徳川秀忠公により奉納された。国の重要文化財。 鹿島神宮の主祭神武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)は、「国譲り」の神話に出てくる神様。武神の神様なので、必勝祈願の神様。他に、開運、厄除、商売繁盛、縁結び、安産等全般に崇敬されているそうだ。 スピリチュアリストの江原啓之さんによると鹿島神宮の主祭神武甕槌大神は古事記の中では最強の神様で、敷地内は自然の森のパワーで溢れていて意を決した者が行くべき場所らしい。
国譲りの神話 はるか昔、天照大神(アマテラスオオミカミ 伊勢神宮の御祭神)が日本の国を治めようとしたが、荒ぶる神々が争い乱れていた。たくさんの神に相談すると、天穂日命(マメノホヒノミコト 鷲宮神社の御祭神)が選ばれ遣わされたが、 出雲国の大国主神(オオクニヌシノカミ 出雲大社の御祭神)の家来になってしまい、次に天稚彦(アメノワカヒコ)が遣わされたが忠誠がなく、 自ずから国を乗っ取ろうとして亡くなる。このようなことが二度つづいたので、天照大神が慎重に神々に相談すると、神々が口を揃えて、経津主大神(フツヌシノオオカミ 香取神宮の御祭神)こそふさわしいと言う事になり、そこへ武甕槌大神も申し出たので、 共に出雲に派遣されることに。二神は出雲国の稲佐の小汀に着いて十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さに突き立て、武威を示して国譲りを迫ると、大国主神は美保関で釣りをしている長子の事代主神(コトシロヌシノカミ)が答えるといい、事代主神に国譲りを迫ると、事代主神は承知したが、他の息子の建御名方神(タケミナカタノカミ)は国譲りに反対し、武甕槌大神と力比べを申しでたが、武甕槌大神の手が氷の様に固い刃に変化し、恐ろしくなり逃げて長野県諏訪湖まで追い詰められ諏訪から一切出ない事を約束て服従し諏訪大社の神となる。大国主神は国譲りを承諾し天照大神の命令に従い、二神は争うことなく円満に国譲りを実現し、日本の国を平定して天照大神の元へ復命された。
樹齢1200年以上の御神木は社殿の後ろにある。(写真左上)拝殿に向かい、静かにお賽銭を入れ二礼二拍手一礼で参拝する。参拝の作法は参道と同じように中央は神様の通る道なので中央を避け、軽く一礼してからお賽銭を静かに入れ、鈴があれば鳴らし、腰から深く二礼(90度)し、胸の前で手を合せ(右手の方を少し下にずらし 少し手を膨らませ良い音を出す)二拍手し、神様への日頃の感謝をお祈りし、お願い事があればお祈りし、腰から深く一礼し、最後に軽く一礼する。二礼二拍手一礼の前後に軽く一礼するとより丁寧な参拝になるそうだ。 お賽銭は誰でも投げられたら嫌な気分になるので手の平にのせて滑らす様にそっと入れる。二礼するのは神様に取り次いでくれる守護霊に対してと神様にする。二拍手は邪気を払ったり神様を呼ぶ為と言われる。誰でもいきなりお願いされたらビックリするので、お祈りする際は先に自分の住んでいる住所と名前をお伝えし、健康でいられる事や小さな事でも良い事があった事を神に感謝する。感謝の言葉をお祈りした後に、お願い事があればお祈りする。神様は自分の努力なしでは願いを聞いてくれなく、欲の強い願いも却下され、「これから願いがかなう様に精一杯努力しますからお力をお貸し下さい」と言う様な誓いを伝える。おみくじを引く場合はお祈りの時におみくじを引きますので私にお言葉を下さいとお伝えする。 常日頃から神様に感謝し尊敬していれば神様の御加護を得られると言われ、神様を尊敬しなかったり、自分勝手に行動したり態度の悪い人は何度参拝しても神様の御加護は得られない。常日頃から思いやりを持ち何事でも感謝する事を心がければ、自然と謙虚な気持ちになり、人を恨んだり嫉妬したりする事が無くなり人にやさしくなれる。神様は鳥居からずっと参拝している姿を見ているそうで、正しい参拝作法を行っていれば神様に認められる一歩だ。とは言っても現実的には中々難しいので、心を改める為に近くの神社にでも定期的に参拝する習慣をつけると心がリセットされがんばれる気がする。自分を見つめ直す事が大事だ。
拝殿前には織物・機織の神の建葉槌神(タケハヅチノカミ)をお祀りする摂社高房社。 (写真左上)横には宝庫。(写真上中央)石灯篭にまた鹿を発見した。
裏に行ってみると色鮮やかな本殿が見えた。本殿も1619年に徳川秀忠公により奉納された。国の重要文化財。東照宮を思わせる様なきらびやかな造りだ。
13:13奥参道を歩く。奥参道は巨木がが林立していて木々からのパワーを感じ歩いているだけで心が癒される。ここからは石灯篭が急に古いものが並んでいた。境内約70haに繁茂する植物は1000種あり、特に南限、北限の植物が同生していて植物学上貴重な為、県の天然記念物に指定されている。
13:17国家の君が代の唄に出てくるさざれ石があった。さざれ石とは石灰石が長い年月の間に雨水で溶解し、その粘着力強い乳状液が次第に小石を凝結し段々と大きくなり遂には巌(いわお)となり河川の浸食により地表に露出し苔(こけ)むしたものらしい。
さざれ石の前には鹿園があった。神のお使いの鹿さんが30頭ほど飼育されている。鹿が神の使いと言われるのは、鹿の神である天迦久神(アメノカクノカミ)が天照大神(アマテラスオオミカミ)の命令を武甕槌大神の所へ伝えにきたことに由来する。 張り紙があり、最近鹿にビニール袋を食べさせていた人がいた様で、1ヶ月の間に7頭も死んでしまったそうだ。今は防犯カメラを設置したり、持ち込みのエサも禁止になり、売店でエサを買った人しか鹿に近付けなくなっていた。 奈良公園の神鹿は古くから手厚く保護されていて、江戸時代までは不慮の事故も含め殺めると厳しい刑罰を受けたそうだ。伝説によると誤って文鎮で鹿を殺してしまった子供が鹿の死骸とともに生き埋めとなった。その墓が奈良公園周辺に残っている。 奈良公園の鹿は、767年に春日大社の創建の際に、鹿島神宮から白い神鹿の背に武甕槌大神の分霊を乗せ多くの鹿を引き連れて1年かけて奈良に移動した鹿島神宮の神鹿の子孫。東京江戸川区に鹿骨という地名が残っていて、移動中に死んでしまった神鹿を葬った場所らしい。本家の鹿島の神鹿は長い歴史の間に何度か絶滅してしまい、現在飼われているのは奈良から逆輸入した神鹿の子孫だそうだ。
動物好きのガッチャは100円でエサ(にんじん)を購入し柵の中に入った。ガッチャは小さくてかわいいバンビちゃんにエサをあげようとしたら、すごい勢いで雄の鹿に横取りされてしまった。ガッチャはこの状況だとバンビちゃんはいつもエサに有りつけていない事に気づき、なんとかしてもバンビちゃんに食べさせてあげる事に。しかしエサを持っているだけで雄鹿は力強く追いかけてくる。
作戦を考えジンケがエサを持ち雄鹿をひきつけている間にエサをあげる。しかし雄鹿はいっぱいいて中々難しかったが途中で雄鹿同士がケンカになり、そのすきにバンビちゃんにエサをあげる事が見事できた。
13:27奥参道をさらに進む。右には縁結びの神社で有名な氷川神社の主祭神でもある須佐之男命(スサノオノミコト)・奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)夫婦をお祀りしている末社熱田社。
13:30奥宮は1605年に本殿として徳川家康により奉納された。当初は本殿として使われていたが1619年の造営の時に場所を移し奥宮となった。奥宮では主祭神の武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)の荒御魂をお祀りしている。荒御魂とは、神様は2つの側面を持っているとされていて、穏やかで優しく平和的な側面の和御魂(にぎみたま)と荒々しく激しい側面の荒御魂(あらみたま)があり、同じ神でも個性は全く違うので、鹿島神宮では別々にお祀りしていて、奥宮では荒魂をお祀りし、本殿では和魂をお祀りしている。 奥宮からは左右に道がありまずは左に向かう。急な下り坂になっていて下っていく。
13:34下りきると透き通って綺麗な御手洗池(みたらしいけ)があった。昔はこの辺から参道が続いていたそうだ。誰が入っても同じ深さの池と伝えられている。鹿島神宮の七不思議には、大人が入っても子供が入っても乳を超えないと記載されていた。東日本大震災では池の鳥居が倒れたそうだが現在は元に戻っていた。でも地震の影響で池の水位が下がってしまったそうだ。
奥には御手洗という湧水が湧いていてここから池に流れている様で煮沸すれば飲めるそうだ。 写真右上は近くにある大国社。神話「国譲り」に出てくる大国主神(オオクニヌシノカミ 縁結びの神様で有名な出雲大社の御祭神)をお祀りしている。大国主神には別名がたくさんあり、大己貴命(オオナムチノミコト)の名で氷川神社の主祭神としてお祭りされている。氷川神社の主祭神は大己貴命の他にの大己貴命6代前の先祖の須佐之男命(スサノオノミコト)・奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)の夫婦の神なので縁結びの神様として深い関係がある。
13:42一休という売店では、ほそまっちょのイケメン店員さんが忙しそうに団子を焼いていた。店内はお客さんでいっぱいで御手洗池の御神水を使った常陸あき蕎麦が名物だそうだ。みたらし焼だんご、草だんご、きびだんご、三色だんご(上記三種類 350円)があり、だんご好きのガッチャは巨大なみたらし焼きだんご(300円)を購入。
みたらし焼きだんごは普通のみたらしだんごとは違い、甘みそっぽくコクがあり美味しかったそうだ。 13:46奥宮前の分岐点までしんどい坂を登って戻り、次は右の道へ向かった。
森の中を歩いていると分岐点に大鯰(オオナマズ)の碑があり武甕槌大神がオオナマズを抑えつけていた。写真右上は国道51号に出るそうだ。さらに直進する。
森はさらに深くなり森のパワーを感じる。つきあたりにはパワースポットの要石があった。 鹿島神宮と宮崎県の高千穂を直線で結ぶと夏至の日に太陽が通るレイラインで、その線上には、皇居、明治神宮、富士山、伊勢神宮、吉野山、高知等があり、日本のパワースポットと言われる。最近できたスカイツリーもレイライン上にあるそうだ。鹿島神宮本殿から香取神宮本殿まではほぼ正確な南西にあり、息栖神社本殿まではほぼ正確な南にあり、東国三社を直線で結ぶと地図上に直角二等辺三角形が浮かび上がる。神話「国譲り」で関係のある諏訪大社は鹿島神宮の真東に位置し、その間には縁結びやパワースポットで有名な大宮氷川神社があり一直線にならぶ。調べてみると奥が深く面白い。
香取神宮の要石は丸かったが鹿島神宮の要石はくぼみがあり凹んでいた。この地方では巨大ナマズが暴れていて地震が頻発していた為、香取神宮の神様が尻尾、鹿島神宮の神様が頭を石棒で抑えつけて大人しくさせたそうだ。要石は表面に出ているのは巨石の一部で地中深く埋まっていて巨大ナマズを押さえていると伝えられている。一説には香取神宮にある要石と地中でつながっているそうだ.。昔、水戸光圀公が7日7晩家来に掘らせた所、掘っても掘っても朝になると掘った土が戻っていたり、怪我人が続出したので彫るのをあきらめたと伝えられている。 要石のくぼみにお賽銭がのれば願い事がかなうそうで、たくさんのお賽銭が辺りに落ちていた。みんな小銭を使い切り挑戦したが誰も入らなかった。要石に当たると跳ね返ってしまうので手前に当ててバウンドさせないと入らない様な感じだった。
写真左上は芭蕉句碑。オオナマズの石碑まで戻り左に進むと東雄桜があった。けもの道みたいな所から参道に戻り引き返す。
14:20鹿島神宮を出る時も二の鳥居跡を出た後に振り返えって立ち止まり「お邪魔しました」と言う気持ちを込めて一礼する。二の鳥居跡を過ぎるとなんか急に肌寒くなってきた。パワースポットに行くと良く体温が少し上がると聞く。また鹿の親子の石像を通り過ぎる。
参道を歩いていると良く「ボク ぼくでん」とキャッチフレーズが目につき、戦国時代の剣豪の塚原卜伝のドラマがNHKのBS時代劇で7月15日から放送されているそうだ。塚原卜伝は鹿島出身の戦国時代の剣豪で、鹿島神宮に千日間参籠りし、「一の太刀」を会得し鹿島新当流を開いた。伝承上弟子とされる中にはゲームの信長の野望に出てくる剣豪の、真壁氏幹、足利義輝、北畠具教、上泉信綱と凄い。 14:25鹿の親子像近くのしんろく屋と言うお店のコロッケが気になり寄ってみる。しんろくとは鹿島神宮の神の使いの「神鹿」からとったそうだ。 しんろく屋
神宮ころっけ、美明豚メンチカツ、元祖!あんコロ、芋かりんとう饅頭と全部気になり何を食べるか悩んだ。
ガッチャは全部を選んだ。お店はカウンターがあり4人まで座れる。注文を受けてから揚げてくれる。写真右上は美明豚メンチカツ(160円)で熱々サクサクでブランド肉がとても美味しかったそうだ。
写真左上と中央は鹿嶋市のB級グルメの元祖あんコロ。中には芋ようかんみたいな味付けのさつま芋の中に甘さ控えめなあんこが入っていて、真ん中辺りまで食べるとバターが溢れてきてバターの風味が広がり初めての味でとても美味しかった。写真右上は神宮ころっけ。(200円)茨城県産ジャガイモの中には美味しいA4A5ランクの常陸牛のすき風に味付けされた肉が入っていてどれも美味しかったそうだ。 14:55鹿島神宮第二駐車場に戻り次は最後の東国三社の息栖神社に向かった。
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